伊勢志摩備長炭の製炭所を訪ねて。

映画のロケで訪れた伊勢志摩の製炭所。
そこの主人に興味が湧いて、ふたたび仲間と訪れた。

ここの製炭所が焼く備長炭はクオリティもさることながら、主人の「伊勢志摩ブランド」に対する熱が、なによりも熱かった。
映画美術監督の、そんな記録。

2018年4月18日、新幹線と伊勢志摩ライナーを乗り継ぎ、三重県南東部の伊勢志摩へ向かう。
目的は、里山深くでひとり備長炭を作り続ける炭焼き職人を訪ねる為。宿泊先から車で海沿いを走り、約30分の里山へ。作業途中の手を止め笑顔で迎えてくれた森前栄一氏は、建設業から職人へ。
自身が生んだ伊勢志摩備長炭という大きなブランドを背負い、里山の工房で炭作りに没頭している。

森前氏は言う、
「始めはね、しっかり稼いで飯くうようにならんにゃいかん思ってやってたけど、
まだまだね、余裕はないんやけどね、やってるうちにね、
ブランドを育てる、人を育てるってことをやっていかんとね、
せっかく世界の品質の備長炭がね、なくなってくんちゃうんか思ってね」。

炭作りは、森前氏自身が山で備長炭の原木となるウバメガシを調達するところから始まる。
調達した原木を工房に運び、数日かけて適度に形成。そして、不眠不休で焼く。

文字では簡単に綴れる工程のひとつひとつが、実際に話を聞くほどに、
膨大な時間と労力を重ねた上に成り立つものだと知る。
一長一短の興味だけでは背負えないものを、森前氏は背負っている。

森前氏の工房の周りを囲む里山は、人が一定の手をいれ更新し続けることで維持されるという。
(写真は、森前氏がひとりで原木を調達している里山の一部)

近年、薪や炭作りのための原木調達が少なくなり、老木が多くなった。
そのため繁殖しやすくなったと考えられるキクイムシの食害。

その問題を軽減し、里山の健全さを保つ意味でも、
成長サイクルの早いウバメガシの力を借りるエネルギーシステムは、受け継ぐべき伝統だと言う。
だが、地域産業としてまだ認知の少ない伊勢志摩の備長炭ブランドでは、
行政を動かす力が足りないのだとも、森前氏は教えてくれる。

森前氏が日々取り組む炭作りは、まず、窯に原木を入れ蒸し焼きにすることから始まる。
熱で余分な水分や成分が抜けたら、釜口を塞ぎ、多く目にする黒炭ができあがる。

備長炭は、そこから少しずつ空気を入れ、さらに余分な成分を取り除く。
そこから寝ずの番を経て、
1,000℃以上の高温から取り出し、灰をかけ、金属のように硬い備長炭が出来上がる。

写真は、打ち合わせると楽器のように高らかな音が鳴る森前氏制作の備長炭。
サイズの違いで、その音色もさまざまだった。

訪ねた日は炭を焼く当日だった。火を入れたら寝ずの番が続くという森前氏。

翌日の朝に再訪した際、高温で熱せられた窯および工房から、余分な匂いが一切消えていて驚いた。
窯出しの工程も目にしたかったが、気温などとの兼ね合いでもう1日伸ばすとのこと。
炭作りは、経験がものをいう。

高温に熱せられた工房中央の窯の左右に、まだ使われていない窯が作られていた。
新しい窯を用意し、職人を育てるという。

森前氏は現在、伊勢志摩備長炭ブランド発展の為、
需要と供給のバランスを、丁寧に整えようとしている。

また、炭作りの要となる製造環境の整備として、
ところどころ朽ちている工房の屋根も、夏頃に建て替える予定らしい。

建て替えに必要な木材を見せてくれるというので、着いていったところ、
工房よりさらに奥の森に、伐採して皮を剥がした原木が無数に転がっていた。
森前氏は、すべてを自らの手で進めている。

「炭焼きは儲からへんというイメージからね、変えていかないかんと思ってね。
炭御殿でも建てて、こんな生活ができるってね」。
と笑う森前氏の声には、自らの意志で、継続し伝えていこうとするたくましさがあった。

この出会い、この旅が、どんなプロダクトやプロジェクトに育っていくのか、楽しみだ。

この製炭所が舞台のモデルとなった映画「半世界」(阪本順治脚本・監督、美術 原田満生)
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